「教えない指導法」のイメージとそれまでの試行錯誤の経緯
生徒は塾に来て、挨拶をし、授業が開始される。生徒は、それぞれ自分がその日に、しなければならないと考えるものを持ってきているのでそれを机の上に出し、勉強を始める。辞書は塾にも置いてあるので、必要な生徒は調べながらノートにまとめたり、参考書の内容をなんとか理解しようとしたり格闘する。質問は一切ない。質問をしないのは暗黙のルールなのである。私語も一切ない。そして一時間目が終了する。休憩時間は、楽しくおしゃべりをしたり、本を読んだりしている。二時間目が開始される。また各自が勉強を始める。さっきの続きをするものもいれば、別の教科にうつるものもいる。子供達が、どっぷりと集中の中に入り込んでいる様子を初めて目の当たりにする保護者は、その光景に衝撃を受ける。
これが、優喜塾の通常の授業風景である。
お気づきだろうか。「先生」という言葉が一度も登場しなかったことを。
教えない指導法とは、先生の出番が少ないほどよしとする我々独自の指導法のことである。
どうして「教えない」のか。それは、驚かれるかもしれないが、「教えない」ほうが、より効率的であり、より効果的だからである。そして、なにより、子供達を「自律的な人間」へと導くと言うありがたい副産物まで生み出すからである。
私は、優喜塾を創立し1年も経たないうちに壁にぶつかっていた。なにも言わなければ家庭学習もあまりしない生徒達に、なかば強制的に私は宿題を出していて、塾の授業では詰め込み的な指導に徹した。成績は伸びていたのだが、このように子供達を、管理とでもいう状況下におき、結果を出すことに、虚しさと罪悪感を持っていた。かといって、ただ楽しく、授業の最後にちょっと生徒がすんなり解ける易しい問題を解かせ、予定調和的に褒めて、いい気分にさせて帰す、気の抜けた炭酸飲料のようとでもいうべき、ステレオタイプな授業は絶対にしたくなかった。僕の目指していたのは、もっと刺激的で、子供達が熱くなれる授業だった。その頃は、私はいわゆる熱血教師で、型破りの授業をたまにやるなど、子供達の勉強に対する士気を高めることには自信があった。しかし、それでもなにかが満たされない私は、子供のやる気に焦点を当てることにした。子供達のやる気をいかに出すかに指導の目標を正式に追加し、保護者にも当時書いた著書「子供に勉強は教えるな」を通して啓蒙をはかった。やる気に目をつけたことはよかった。現に、より私の満足する形(それは子供達の表情を見ていれば分かる)に、子供達が変化していくのが分かった。
このころ、私は、子供がやる気を出すために必要な事をまとめた著書「豊かな土壌とは」を塾生の保護者に配布し、やはり家庭からの子供達の変化を生み出す協力をお願いした。塾で子供達に教える時間が限られているので、子供達の生活自体、そして彼らを取り巻く環境を改善していくことで、彼らの力をより引き出そうとしたのだ。
そして、最終的に行き着いたのが、「教えない指導法」である。つまり、子供達がやる気をだせる環境づくりは塾も家も万端であったから子供達の能力は大きく引き出されていた手ごたえがあったのだが、あとは、子供達が自律的な人間になり、自律的に勉強を捉えることができれば、優喜塾の体系的な指導法が完成すると確信したのだ。この時期に、さらに教師用の指導バイブル「教師鍛錬」を書き、子供達を自律的な人間へと変革させるメソッドを講師陣にも徹底させた。同時期に、教えない指導法を授業に組み込んだ。「黙学」の時間の導入である。その名の通り、黙って学ぶ。質問も禁止する時間だ。すると、その黙学を繰り返すうち、子供達が明らかに変わっていき、勉強で最も大切な「集中力」と「自主性」を子供達自らが自分の中から引き出していくその光景は、私が本当に理想としていたものだった。子供達は誰に言われるでもなく、適切な課題選択をおこない、問題と格闘し、解説を片手になんとか理解をしようとする。創立当初から私自身の熱意と合格に対する執念は強かったの(自分で言うのもおこがましいが)で、合格率は高かったのだが、近年は、ほぼ全員が志望校に合格し、合格発表の前から、安心して合格を予測できるようにもなった。
そして、優喜塾創立10周年を迎える2010年、『講師陣の熱意』+『子供達がやる気を出せる土壌』+『自律的な学習法の体得』が一体となって、さらに上記の中で紡ぎだされた集大成としての「教えない指導法」をここに発表し、優喜塾は、子供達を自律的な人間に成長させる機関として、これからも地域の皆様に貢献できていけば幸いと強く思うところである。



























